インプットとアウトプット、どちらも自己研鑽に大事な行動と言われていますね。では、インプットと言えば勉強、読書、芸術鑑賞など、そこまでイメージに個人差がないと思いますが、アウトプットと言うと、プレゼンテーション、ブログ、友達との会話・・・等々、イメージは個々人で多岐に渡ると思います。そして、どちらが難しいかと言えば、アウトプットと考える人が大半かと。今回は、何故難しいのか、について考えてみたいと思います。そして、難しさを把握していれば、アウトプットに対して苦手意識が薄れ、行動に繋げることが出来るはず、と私自身信じています!
さて、インプットは比較的日常の習慣になっている人が多いのではないでしょうか。読書や音楽・動画鑑賞など空き時間に気軽に行えるので、継続もしやすいし、達成感も得やすい。達成感という点に就いては、インプットは人の成果、思考、経験等を完成された作品として共有出来るので、それに触れるだけでも自身が成長したように感じられる、手軽に疑似体験が出来るという背景があるのかなと思います。自身が興味があることは勿論、例えば人に進められた本が全くこれまで興味や知見が無かった分野だとしても、読むだけで知識が広がった、ように感じると言えます。
では、アウトプットはどうかと言うと、まず気軽に行えない、という点が一番インプットと異なる点で、そこが難しさに繋がっていると思います。その難しさを分解して、アウトプットに対する苦手意識を克服しましょう。
1.アウトプットは、自身の思考が中心である
インプットしている最中は、あくまでそのモノを作成した人=他人の思考が中心ですが、アウトプットは自身の思考が中心となります。得た情報に対して、自身の頭で解釈を行い、整理をすることで初めてアウトプットが出来ます。私は書かれたことを記憶する、例えば言語の勉強や数学の公式に当てはめて解く問題のように、決まったことを覚えて当てはめるという作業は慣れている(比較的得意)なのですが、覚えた言語で自由に会話する、証明問題のように公式等を用いながら説明するという問題形式となると、途端に脳が苦手意識を発します。恐らく、間違えたら恥ずかしい、分かっていないと思われるのは恥、といった感情が出てくるのでしょうか。今は、アウトプットを行うためには、まずその感情を横に置いておいて(完全に無くすことは不可能なため)、自身の思考を外に出す、という作業を心掛けるようにしています。得た情報に対して、自分がどう感じたか、どうすべきか、何が必要か・・・ 仕事においても、同様の観点で、自身の思考をチーム内、部内へ発信することにより、今ある問題の共有、仕事の方向性、優先タスクがどれか、と言った仕事の根本に関わることを擦り合わせることが出来ます。勿論、アウトプットには一定の責任が伴いますが、それを恐れていたら、恥ずかしいと思ったらアウトプットの苦手意識は消えません。インプット→整理→自身の解釈→アウトプット、と言ったサイクルを出来るだけ高速で回すことを心掛けましょう!
2.アウトプットの形式は自由
自身の解釈の方法に、教科書はありません。どの様な形式でも正解はなく、誰も正しい方法は教えてくれません。すると、自身の中で恥や間違いを恐れるがあまり、そのハードルをどんどん高くしてしまいます。例えば、部内で上司に簡単に説明するだけの資料で良いのに、自身で完成度が高いと思うプレゼンテーションを仕上げてしまう、感じたことを手帳や携帯のメモに書けば良いのに、凄く分厚い手帳を購入して毎日書こうとしてしまう・・・と、自身でアウトプットを難しくし過ぎてしまっている。アウトプットのハードルは下げる、完成度としては6割、こんな風に考えると、ふっとアウトプットに対する自身で作り上げた巨大な壁が低く、薄いものになる気がします。日記も毎日沢山書かなくて良い、出来る日に一行だけで良い、と自身で低く設定したハードルを超えていくうちに、段々アウトプットに慣れてきて、自然とハードルを上げていくことが出来ると思います。まずは低いハードルで!
日本人は、意識しない限り、小さい頃からアウトプットに対する習慣をつける環境がありません。ただ、だからといってアウトプットをしなくて良いわけではありません。むしろ、働き方や生活スタイルが以前より多様化している現在、重要視されている行動です。ぜひ、少しづつインプットをアウトプットに変えられる人になりたいですね!最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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