社内外の人に「とても自然体ですね」と言われることが度々あります。自分では意識していない観点というか、自然体になろうとして振る舞っている人は他人から見ると自然体には映らないだろうし、自然体である・自然体でないという判断は相対的に(誰かと比べて)そう思うと言うことなのだろうから、総合的に考えて会社人生において自然体ですねと言われたら、褒め言葉だと信じたいのですが、本当にそうなのか、自然体と言われる背景・理由を深堀してみたいと思います。
まず、何が現在「自然体である」という状態にさせているのだろうと、その根本となる経験が、入社から数年間の試行錯誤の体験だとわかりましたので、その点について、説明させていただきます。
自身の会社人生を振り返ってみると、入社から数年間は男性社会の中で完全に浮いている若い女性社員だった気がします。男性がビジネス社会において持っている暗黙のルールも知らずに、ビジネスにおいて重要な考え方、姿勢、組織としての動き方を何も知らずに、自身の感情や視野を中心に動いていました。自身でも徐々に違和感(ここにいて良いのかな、何かが行けないな、何とか自分が足りないものを知らなくてはいけない)と漠然と感じるようになり、独自で勉強しながら試行錯誤のすえ、少しづつビジネス社会というもの、組織人としての考え方・動き方を身に付けていった気がします。当時は無我夢中、カミツキガメのようでしたが、数年経った現在振り返ると納得出来ます。その時に感じた違和感を無視せず、向き合い、試行錯誤した時間は、当時はとても苦しかったですが、今となっては本当にかけがえのない時間だと心から感じます。
その当時の経験を何故かけがえのない時間だと大切に出来るのか。中西輝政さんという政治学者の著書の中に「相反する価値観をバランスすることによって成り立つ共存が自由という概念に近づく」「懸命にバランスを模索したあとならば、自分の中に不思議な耐久力がついくる」と言った文章がありました。これを読んだ時に、そうか!と納得する部分がありました。
特に男性が多い組織において、女性とか、自分の感情や感性といったものを大事にしたいありのままの自分と、男性の思考回路、組織論、論理的な行動といった、まさに入社後数年間の試行錯誤の時間に身につけようとしたものは、自分の中で相反するもの、対局にあるものだったのです。一方で、人は相反する価値観をメリハリをもって、バランスを取りながら使い分けることこそ、不自然から開放された自分になれ居心地の良い場所を作ることが出来るのだと。そういう自身のバランスが取れている状態が、周囲から見ると「自然体」に映るのではないでしょうか。不自然と不自由、自由と自然、これらは全くイコールではないものの、組織における自然体は、自身が自由になれている状態と言えるのだと思います。
決して楽しいとは言えない最初の入社数年間でしたが、トライアンドエラーを繰り返し、継続すること、それにより身に付けられたものが、ありのままの自分と組織における自分の丁度よいバランスを保てる能力なのだろうと納得出来ました。これからは「自然体ですね」と言われたら、自信を持って褒め言葉だな、と感じたいと思います!
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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